最終更新日 2024年11月22日 by akasak
夫婦は喧嘩するほど仲が良いって本当かというと、これは内容によります。
基本的に喧嘩は意志の疎通が出来ないことになりますから、喧嘩をすることが仲がいいということはありません。
ただ、夫婦喧嘩が必ずしも中が悪いということが言えるわけでもありません。
喧嘩が出来るというのは相手がいるからこそですし、自分の意見を言ってすっきりするということが出来るのであれば、これは意味があることになります。
決定的に仲が悪いということになるのは別居などで相手と関わり合うことを避けることになることです。
つまり、喧嘩をして意志を相手に伝えようとしている段階では、まだ仲が壊れたということではないと考えることができます。
そういう意味では仲が良いとは言えないまでも意志の疎通を図れるという段階でこれは特に厳しい状況ではない可能性が高いということもいえるかもしれません。
仲が決定的に壊れるのは相手の存在を否定するようになったときです。
つまり、相手を無視するということをし始めた時なので、相手をなんとかしたいと考えている喧嘩の段階は仲が決定的な状態にはなっていないということがいえるのかもしれません。
いずれにしても、喧嘩そのものは仲がいいという証明にはなりません。
喧嘩をするほど仲が良く見えるというのは、喧嘩のレベルがそれほどでもない時にいえることです。
喧嘩が本格的なものとなると、なかなかそうはいっていられないことになる時もあります。
場合によってはそのまま離婚などというようなこともあるわけですから、喧嘩するほど仲がいいというのは、喧嘩の程度によるということになります。
ここでいう喧嘩の程度というのは、喧嘩の内容をいうのではなく相手に対する思いやりのレベルのことを意味します。
内容そのもののことをいうのではないということに注意が必要です。
自分のお菓子を食べたというようなことであっても、そこから離婚に発展することもありうるのです。
相手のことを慮る気持ちがないと、ちょっとしたことが腹が立つということがあります。
そして、これはちょっとしたことほど腹が立つものなのです。
洗濯物がたたまれていないというようなことであったり、出したものがしまってないなどのちょっとしたことがイライラの種になるということはよくあることです。
この時に相手の人のことを慮ればこの気持ちを抑えることが出来ますが、それが出来なければ喧嘩に発展していくことになります。
こうしたちょっとのことが大きな喧嘩となるのは、それがちょっとしたことだからです。
言われた方はこんなことでという思いが出てくることになります。
そして、その思いは激しい言葉となって相手を傷つける言葉となることもしばしばです。
となると、相手はその言葉に傷つくので感情的にやりかえさなければという気持ちとなることも多いのです。
するとお互いに引けない状況となり、大喧嘩となるというわけです。
ですから、ちょっとしたことだからこそ大きな感情の応酬となることがありえるわけです。
この時に相手を慮る気持ちがあれば、退き場所を考えることができるようになります。
これ以上踏み出してはいけないという気持ちが出てくるのですが、それが出てこない場合もあります。
もう我慢の限界というような自分側の気持ちだけに支配されるようになると、これはもう修復できない喧嘩のレベルとなっていきます。
単なる口喧嘩ではなく心から相手を憎むようなことにもなっていくわけです。
相手との関係を修復したいと双方が考えている喧嘩は元に戻る可能性が高いですが、相手を憎むようなものとなってはなかなかこの気持ちは収まらないものとなります。
ですから、喧嘩するほど仲がいいというのは喧嘩のレベルによることになります。